〜 タバスコとシナモン 〜

カメラと写真・朽木鴻次郎

ローライフレックス二眼レフ Rolleiflex Tessar とツアイスのお話

ローライといえばコンパクトカメラのローライ35も有名ですが、そもそもは二眼レフで有名なドイツのメーカー「フランケ&ハイデッケ」のブランド名です。

 

フィルムカメラを始めたら、一度は使ってみたいですよね、二眼レフは。 

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ローライフレックスの二眼レフ、いろんなタイプがあって、お値段もそれぞれです。ぼくのローライには、ツァイスのテッサー f 3.5 / 75mm が搭載されています(Zeiss Tessar)。比較的お値段も安いタイプだったのかな。

 

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ツァイスは、もちろんドイツの光学メーカーですが、筆頭の技術者が創業一家から株式を全部買い取って、要するにマネジメントバイアウト、全て財団の所有にしてしまう。技術を守るためですね。これはドラマです。

さらに20世紀の初頭、ツアイスは光学機器メーカーの大合同を行って、一大巨人となる。他の光学機器メーカーとは企業規模が違ったみたいです。ツァイスは格段にでかい大組織になりました。先の欧州大戦ではドイツの戦車というか大砲や航空機の照準器等々にその光学製品が採用され、8,8センチ砲の威力は、クルップの技術もさることながら、ツァイスのレンズが素晴らしい精度だったためでもあります。

 

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何しろ、タイガータンクは、2キロ離れた遠距離から、手のひらのサイズの標的を射抜くことができたし、帝国陸軍の仇とも言える米軍のM4タンク数台を一発の戦車砲で串刺しに屠ったエピソードもあります。

タイガーに対抗するソビエト・ロシアのT−34では、最終型で85ミリの大口径戦車砲は搭載したものの、照準プリズムに気泡が入って濁っていて、到底ドイツのタイガーには正面切ってはかなわなかった。

よーするにドイツの光学技術はすんごいもんだったんですな。光学技術って軍事産業なんです。

だからこそ、ヒトラー滅んだ後、ドイツ東部のイエナは赤軍の手には落ちるものの、そこにあるツァイス本社に、アイゼンハワーはいち早く麾下部隊を派遣して、家族ごとツァイスの高級技術者を西側に保護(てか、誘拐?拉致?)してしまった。スターリンに盗られるくらいなら、こっちに持って来ちゃえってわけだ。先にハラショーとイエナに入城したくせに遅れをとった東側は、ツァイスの工場施設と残っていた資料、そしてベテラン現場技術者・熟練工を手に入れた。

戦後しばらくは、東側に軍配が上がっていたみたいですね。現場が大切。それでも西側だって負けてはいない。そして、ベルリンの壁崩壊まで、ツァイスは分断されました。これがある意味いい切磋琢磨を生んで、ツァイスの技術はさらに向上し続ける......

 

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面白いですね〜、映画になりそう。胡桃沢耕史はこのエピソードをもとに小説を書いているくらいです。「東から来た男」1956年(昭和31年)。興味のある方は読んでみてね。*1

 

その後ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一。ツアイスの統一へと...

 

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いやね、そんなことより、写真ですよ。ローライフレックス、ドイツのカメラとドイツのレンズで、はるか極東の古都・京都の桜を撮る。

 

「瀬をはやみ」の句で有名な崇徳上皇がお祀りされている白峯神社です。実に美しい。

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西と東、そして、ドイツと日本の邂逅です。

 

「われても末にあはむとぞおもふ」

 

いや、レンズ割っちゃダメですよ、大事にしなきゃヽ(´▽`)/ 

kuchiki-kohjiro.hatenablog.com

 

ツァイス・Zeiss 関連はこちらです。

kuchiki-kohjiro.hatenablog.com

 

 

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*1:この短編小説は昭和61年ケイブンシャ文庫「恋と男と革命と」に収録されています。